October 1, 2005
Japanese Poem
まずはオーソドックスな archetype
桜(7)
いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に 匂ひぬるかな
花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせしまに
人はいさ 心も知らず 故郷は 花ぞ昔の かに匂ひける
もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし
ひさかたの 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ
花さそふ 嵐の庭の 雪ならで ふり行くものは 我が身なりけり
高砂の 尾上の桜 咲きにけり とやまの霞 たたずもあらなむ
月 (7)
月みれば 千々に物こそ 悲しけれ 我が身ひとつの 秋にはあらねど
嘆けとて 月やは物を 思はする かこちがほなる 我が涙かな
天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも
夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづくに 月宿るらむ
秋風に たなびく雲の 絶え間より もれいづる月の かげのさやけさ
めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月影
ほととぎす 鳴きつるかたを ながむれば ただ有明の 月ぞのこれる
紅葉 (5)
小倉山 峰の紅葉ば 心あらば 今ひとたびの みゆきまたなむ
このたびは 幣もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに
嵐吹く 三室の山の 紅葉ばは 龍田の川の 錦なりけり
山川に 風のかけたる しがらみは 流れもあへぬ 紅葉なりけり
ちはやぶる 神代もきかず 龍田川 からくれなゐに 水くぐるとは
雪 (5)
心あてに 折らばや折らむ 初霜の おきまどはせる 白菊の花
かささぎの 渡せる橋に おく霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける
君がため 春の野に出て 若菜つむ 我が衣手に 雪はふりつつ
朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに 吉野の里に 降れる白雪
朝ぼらけ 宇治の川ぎり 絶えだえに あらはれわたる 瀬々の網代木
風 (10)
風をいたみ 岩うつ波の をのれのみ くだけて物を 思ふころかな
うかりける 人をはつせの 山おろしよ はげしかれとは 祈らぬ物を
吹くからに 秋の草木の しほるれば むべ山風を 嵐といふらむ
山里は 冬ぞ寂しさ まさりける 人めも草も かれぬと思へば
み吉野の 山の秋風 さよ更けて 故郷寒く 衣うつなり
有馬山 いなのささ原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする
夕されば 門田の稲葉 おとづれて あしのまろやに 秋風ぞ吹く
風そよぐ ならの小川の 夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりける
あまつ風 雲の通ひ路 吹きとぢよ 乙女の姿 しばしとどめむ
住の江の 岸による波 よるさへや 夢の通ひ路 人めよくらむ
露 (4)
契りおきし させもが露を 命にて あはれことしの 秋もいぬめり
村雨の 露もまだひぬ まきの葉に 霧立ちのぼる 秋の夕暮れ
秋の田の かりほの庵の とまをあらみ 我が衣手は 露にぬれつつ
白露に 風の吹きしく 秋の野は つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける
雄大な景色 (5)
田子の浦に うち出てみれば 白妙の 富士のたかねに 雪は降りつつ
和田の原 漕ぎ出てみれば ひさかたの 雲ゐにまがふ 沖つ白波
和田の原 八十島かけて 漕ぎ出ぬと 人にはつげよ あまのつりぶね
世の中は 常にもがもな なぎさ漕ぐ あまのをぶねの 綱手かなしも
春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天の香具山
ひっそりとした
秋や出家の寂しさ (5)
奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋はかなしき
世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる
我が庵は 都のたつみ しかぞ住む 世をうぢ山と 人はいふなり
八重葎 しげれる宿の 寂しきに 人こそ見えね 秋は来にけり
寂しさに 宿を立ち出て ながむれば いづくも同じ 秋の夕暮れ
懐古 (5)
百敷や 古き軒端の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり
滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ
心にも あらでうき世にに ながらへば 恋しかるべき 夜半の月かな
誰をかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに
ながらへば またこのごろや 偲ばれむ うしと見し世ぞ 今は恋しき
植物 (6)
かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを
名にしおはば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな
陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし 我ならなくに
難波がた 短き葦の ふしの間も 逢はでこの世を 過してよとや
難波江の 葦のかりねの ひとよゆゑ 身をつくしてや 恋わたるべき
浅茅生の 小野の篠原 忍ぶれど あまりてなどか 人の恋しき
ぬばたま (3)
長からむ 心も知らず 黒髪の 乱れてけさは 物をこそ思へ
みかきもり 衛士のたく火の 夜は燃え 昼は消えつつ 物をこそ思へ
淡路島 かよふ千鳥の 鳴く声に いく夜ねざめぬ 須磨の関守
結構凄まじいのが
涙で濡れる袖 (8)
見せばやな 雄島のあまの 袖だにも ぬれにぞぬれし 色はかはらず
恨みわび ほさぬ袖だに ある物を 恋にくちなん 名こそ惜しけれ
春の夜の 夢ばかりなる 手枕に かひなくたたむ 名こそ惜しけれ
思ひわび さても命は ある物を うきにたへぬは 涙なりけり
音に聞く たかしの浜の あだ波は かけじや袖の ぬれもこそすれ
我が袖は しほひに見えぬ 沖の石の 人こそしらね かわくまもなし
契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波こさじとは
おほけなく うき世の民に おほふかな 我が立つ杣に 墨染めの袖
後悔,恨み (8)
忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな
あひ見ての 後の心に くらぶれば 昔は物を 思はざりけり
逢ふ事の 絶えてしなくは 中々に 人をも身をも 恨みざらまし
あはれとも いふべき人は 思ほえで 身のいたづらに なりぬべきかな
わすれじの 行末までは かたければ けふをかぎりの 命ともがな
玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの よわりもぞする
こぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くやもしほの 身もこがれつつ
人もをし 人も恨めし あぢきなく 世を思ふゆゑに 物思ふ身は
一人寝の朝 (8)
やすらはで ねなまし物を さよ更けて かたぶくまでの 月を見しかな
嘆きつつ ひとりぬる夜の 明くるま いかに久しき ものとかはしる
よもすがら 物思ふころは 明けやらぬ 閨のひまさへ つれなかりけり
今こむと いひしばかりに 長月の 有明の月を 待ちいでつるかな
きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき ひとりかもねむ
あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかもねむ
明けぬれば くるるものとは 知りながら なほ恨めしき 朝ぼらけかな
有明の つれなく見えし 別れより 暁ばかり うきものはなし
比較的前向きな恋
逢いに行きます (8)
大江山 いくのの道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立
夜をこめて 鳥の空音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ
これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関
あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふ事もがな
今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを 人づてならで いふよしもがな
わびぬれば 今はた同じ 難波なる 身をつくしても 逢はむとぞ思ふ
君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひぬるかな
立ち別れ いなばの山の 峰におふる まつとしきかば 今帰りこむ
恋を水の流れに例えた (6)
みかの原 わきて流るる 泉河 いつ見きとてか 恋しかるらむ
つくばねの 峰より落つる みなの川 恋ぞつもりて 淵となりぬる
恋すてふ 我が名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひ初めしか
忍ぶれど 色に出にけり わが恋は 物や思ふと 人の問ふまで
由良の戸を 渡る舟人 かぢを絶え 行くへも知らぬ 恋の道かな
瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われてもすゑに 逢はむとぞ思ふ
十首も入っている風、風景を詠んだものもあれば恋を嵐に例えたものもあるけれども、歌の中に風という字が入っている限り、私としてはまとめてしまったほうが覚えやすかった。とはいえ
長からむ 心も知らず 黒髪の 乱れてけさは 物をこそ思へ
のように黒なのか一人寝の朝なのか判断に迷うものも多々。あくまでイメージと覚え易さを優先しました。日本古来の美意識は、一見陳腐な archetype (桜、紅葉、蛍など) を中心に歴史の中で繰り返し表現されてきたようです。涙で濡れる袖、恋を水の流れに例えた歌、などなど私が勝手に作ったカテゴリーにもまとまった数の歌が入ったのが意外でした。
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